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◆ 第2章 (2) 偽の近代精神の自滅 [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


Tibetan Song  2017 Losar Sang



古田博司著新しい神の国

第2章 マルクスどもが夢のあと


2. 偽の近代精神の自滅


いまから振り返れば、何とも哀しいことだが、日本のインテリたち、とくに社会科学者の多くは、日本がどんなに遅れているかという研究ばかりをしていた。

「天皇制」とは遅れた絶対主義なのであり、これを経て、いよいよ資本主義となり新たな階級闘争が始まると教えたのは、1932年テーゼにまでさかのぼるソビエトロシアからの下賜物であった。

そして、これを信じた日本の『前近代性』にがんじがらめになり、経済成長による日本の変貌に全く気づくことがなかった。


清水磯太郎は1960年の安保闘争の日々を、次のように手記に残している。


六月十八日(金)

日比谷公園野外音楽堂にて、全学連総蹶起大会・・・あり。(中略)

馬鹿な奴らだ。

共産党員某曰く、「先生、これで日本も漸くフランス革命の辺りまで来たのでせうか。」

ああ、こいつは、コミンテルンのテーゼを信じ、日本がまだ絶対主義の時代にゐるものと思ひ込んでゐるらしい。

馬鹿な奴だ。

共産党系インテリ某、ウットリした表情にて、余に向かつて曰く、「あの人民戦線といふのは、かういふものだつたのでせうね。」

人民戦線が、何でそんなに有り難いのか。

ハイカラな感じがするからか。

馬鹿な奴だ。

(「わが人生の断片」『清水磯太郎著作集』14、講談社、1993年)


後の手記だから、清水だけが覚醒しているかのように書かれているが、それを差し引いても、当時のインテリがいかに社会主義国からやって来た言説にやられていたかがよくわかる。

安保闘争をフランス革命だといったり、人民戦線だといったり、要は反体制ならばハイカラで格好良いという軽薄さは、今日の日本の左翼インテリまで脈々と繋がっており、ソビエトが解体し、中国が転向し、北朝鮮が没落してもなお、資本主義国家に対抗することこそがインテリの本分だと解している向きがいまだに跡を絶たない。


「天皇制」を絶対王政に比すの論はさすがに影を潜めているが、「天皇制打倒」の心柱はいまだ引き継がれており、日本の左翼人士は「天皇制」が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた。

本当にそうであるならば、今日までの経済成長の過程で、こんなものはとっくに滅びているはずではないか。


この時代に立ち向かったはずの全共闘も、じつはもっと始末が悪かった。

前の全学連世代は戦争を知っていたからナショナリズムの残滓をまだ抱えていて、これが体制否定の衝動を辛うじて抑えていたのだが、彼らにはこの防波堤がない。

革命の可能性と資本主義の終焉を信じ切り、民衆から遊離した閉塞空間で暴力革命を実践し始めた。

しかし彼らの乗り越えるべき対象は資本主義の成長により、なし崩し的になくなりつつあったのだ。


貧困は日本からすでに消えていったのに、彼らは学費値上げ反対をスローガンに掲げ、住民運動では住民たちが彼らの利害を代表しない学生セクトを排除しつつあった。

公害反対運動は、公害が悪であることを彼らが気づかせた優位のものであったが、やがてその効率の悪さは資本主義にとっても必然的な悪となり、技術的な発達によって超克されていった。

しかし、これらすべての体制幻想に、彼らは絶望的に立ち向かったのである。


さらに彼らはナショナリズムが希薄である分、前の世代がもっていた対東アジア侮蔑観も薄かった。

彼らは中国や北朝鮮からの悪宣伝にやすやすと踊らされ、日本のアジア侵略から近代化の輸出という側面をまったく捨象して、悪漢日本を自分たちが懲らすのだという正義の闘争をやり始めた。


周知のように、歴史の見方には思想史的なものと、歴史主義的なものがあるのであり、現代の目から思想史として過去を照射すれば、それは侵略に違いない。

しかし、その当時の悪政で疲弊した李朝から奪うものなど何もないのであり、まず産業振興や近代教育の移植などの近代化を輸出しなければ何も始まらなかった歴史主義的な見方をというのは、そういうことである。


後世、北朝鮮が国内最大と誇る水豊ダムは本当は日本の造ったダムであり、国内最高の製鉄所と見えを切る千里馬製鉄所以前の降仙製鉄所は、そのじつ八幡製鉄所であった。

彼らは今日に至るも、これ以上のダムや製鉄所を作ることさえ出来ない。

加えて建国以来、現在に至るまで、日本が残していったくず鉄をずっと拾い続けている。

植民地の遺産がなければ今の北朝鮮なぞあり得ないというのが峻厳なる事実である。


ところが彼らは絶望的に非現実的であり、恐るべきほどに情報に無知であった。

アジア侵略の過程で流されたアジア人民の血に、日本人は負債をもつとする中核派の「血債の思想」や、東アジア反日武装戦線の日本の歴史を否定しようとする「反日亡国思想」は、東アジアに対する無知から滲み出た毒そのものであったが、彼らは日本自体を穢れたものと思い込み、その禊ぎ祓い役を自任し、三菱重工や三井物産ビルを次々に爆破、多くの無辜(むこ)の民を殺傷した果てに、昭和天皇のお召し列車を爆破しようとして逮捕された。


結果、彼らは自分たちの排他的な共同体を作りあげ、近代にまつわる「不平等」「非人権」「反自由」「独裁」を全部実践して胎内暴力(内ゲバ)で自滅していった。


そしてこれらのすべては、海の向こうのソ連や中国や北朝鮮がやっていた「近代」と、ほぼ同様の偽の近代精神ではなかったのか。




いるいる!! ネットの中でも無限増殖してるくらい、いるw


しかし1960年というと、私は中学生で、淀川長治が編集長で小森のおばちゃまがまだ編集員で、ひたすらジェームス・ディーンを追っかけてた・・・あれ? ジェームス・ディーンは1955年に亡くなってますから、当時の情報は今と違って5年や10年はスタレずに流行っていたんですね。

で、ジェムス・ディーンの後はウォレン・ビューティとか追っかけてたかな?(笑)

そんな映画雑誌の 『映画の友』 とか愛読してましたっけ。



映画の友』 (1960年2月号)
(kuradashieigakan.com/kura-21/tomo-index.htm )

「キム・ノヴァク」というクールな感じの女優さんが表紙です。


で、雑誌やラジオや TV からアメリカの情報はバシバシ入って来ていましたけれど、情報が無いソ連なんて魑魅魍魎の国だと思ってたし、国交がない中国(国交樹立は1972年から)なんていったら日本よりはるかに文化の低い国だと思って、鼻も引っかけなかったです。


すでに日本も高度経済成長期に入っていて、父が新しもの好きだった我が家には5、6年前から TV もあったし、そこに映し出されるアメリカのホームドラマが、特に日本より進歩しているとか、そんなこと思いもしませんでした。日本人とアメリカ人じゃ、座布団に座るか、ソファに座るかの違いだと捉えてましたねw


ただ、フランスよりもイギリスよりも、やっぱりアメリカが一番ハイカラで、そして日本は日に日にそれに近づいているのは肌で感じていたと思いますね。


だから、ソ連だの中国だの、ましてや北朝鮮に憧れた人たちって、私には考えらないくらい辺鄙で情報のない田舎で、貧しい暮らしをしていたのかな?とかw


だって私の住む田舎にも、朝鮮人のクズ鉄買いだのボロ買いだのがよく来ましたけど、本国が豊かなら、わざわざ日本にまで来てボロなんて買ってなくてもいいでしょ? それだけ貧しい国なんだろうなあと子供心に感覚的に捉えてましたよ。


フランスなんて、『シェルブールの雨傘』(1964年 仏・西独合作)の世界。大昔には華やかな社交界の時代があったかも知れないけれど、今は暗くて貧しい国なんだなと思ってました (^^;

大体、シャネルのスーツというのは、働く女性が服を何着も買えないから着回しが出来る服をと、シャネルさんが貧しい中で考え出したものじゃないですかwww


そこいくとイギリスのバーバリーのコートなんてのは、あの国は雨が多いので水たまりがよくある。その水たまりの上にサッとコートを広げて、彼女が汚れずに通れるようにしたというのですから、カッコイイ!!

それで、何度もジャブジャブと洗濯に耐えうる丈夫で頑固な仕立てにしたというのが、いかにも英国w


そういえば昔の映画なんかで、イギリス紳士がステッキ代わりに細身のこうもり傘を持ってるのが、よく登場しましたが、あれって欧米人は不器用で、傘を広げちゃうと、たためないからだとか言われましたけど、ホントかな?

なんてバカなことを言ってないで古田教授の本の続きに行きます(^^;





新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第2章 マルクスどもが夢のあと

1.歴史的必然を信じた人々
2.偽の近代精神の自滅
3.ポスト近代におけるマルクスの残留思念
4.もっと現実的になるべきではないか
5.演繹より帰納重視の教授法
6.教養は教えられるか



文明の衝突
日本は東アジアの一員じゃない


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