◆ 第3章 (7) 韓国人の中国人評 [ ❒ 新しい神の国(古田博司著)]
METALLICA ~ The Unforgiven (1991)
古田博司著『新しい神の国』
第3章 贖罪大国日本の崩壊
7. 韓国人の中国人評
日本の左派インテリが戦後約50年をかけて中共を倫理の高みに押し上げ、中国への印象を清く澄みわたらせていた頃、隣の韓国ではまったくそのようなことがなく、中国のイメージは生々しいままに放っておかれていた。
1980年から6年間、筆者が韓国に滞在していたころの日韓の中国イメージの格差には、めくるめくものがあった。
同じ頃、ソウルに滞在していた朝日新聞元ソウル支局長波佐場清が、朝日新聞の会員制インターネットサービス「アスパラクラブ゙」の「ACI」欄 での連載をまとめた、『コリア閑話』(東方出版、2007年)で、それをエピソードとして、次のように語っている。
何と言うことを言うのだと、苦笑される読者諸兄姉もおられることだろう。
ただ韓国人とはそのようにあからさまな人々であり、このような伝統的なイメージがかえって、大陸というとてつもなく広い地域を占める中国に歴代呑み込まれることもなく、彼らが安全に身を処す糧になってきたことだけは知っておいてもよいことだろう。
朝鮮民族の排外主義には行きすぎの面が多々あるが、彼らは異民族を倫理のネタなぞにしてはいけないことだけは、骨身に染みて知っているのである。
そして、そのような禁を敢えて犯し、中国人を倫理の高みに押し上げてしまった日本は、2005年4月の反日暴動で少しく目覚めたとはいえ、いまだ完全に覚醒することがないがゆえに、おそらくは次の北京オリンピックにおいて、この上なく激しい落下感、すなわち失望感を味わうことになるだろう。
なぜならば、同オリンピックをナショナリズム昂揚の最大の機会と狙っている彼らが、日本の金メダル獲得を全人民的に妨害しようと血眼になることは火を見るより明らかだからである。
いわゆる、ホームラウン・ディシジョン(偏向判定)の問題が、かつてないほど鮮烈なる形で現れるに違いない。
そのときに多くの日本人が、怒りのうねりに身をまかせて感情に押し流されることを筆者は何よりも恐れているのである。
かつて 1988年のソウル・オリンピックの時もそのようなことがあったが、あのときには日本経済が好調で日本人にも余裕があった。
それに韓国と中国では日本人の感覚に微妙な温度差がある。
中国に対しては古代文明の先達としてどこかしら畏敬の念を向けている日本人が少なくないが、韓国に対してはそれがない。
それがない分、韓国の方の落下感はより低い程度で済んだとも言えるのである。
第3章 贖罪大国日本の崩壊
7. 韓国人の中国人評
日本の左派インテリが戦後約50年をかけて中共を倫理の高みに押し上げ、中国への印象を清く澄みわたらせていた頃、隣の韓国ではまったくそのようなことがなく、中国のイメージは生々しいままに放っておかれていた。
1980年から6年間、筆者が韓国に滞在していたころの日韓の中国イメージの格差には、めくるめくものがあった。
同じ頃、ソウルに滞在していた朝日新聞元ソウル支局長波佐場清が、朝日新聞の会員制インターネットサービス「アスパラクラブ゙」の「ACI」欄 での連載をまとめた、『コリア閑話』(東方出版、2007年)で、それをエピソードとして、次のように語っている。
しかし、では、韓国において「中国」は絶対的なカードなのかというと、どうやらそうでもなさそうだ。
韓国滞在中、次のような小話を何人もの韓国人から聞かされた。
韓国人と日本人と中国人がいっしょに豚小屋に入ったとする。
さて、どんなことが起こったか?
一分ともたず、真っ先に日本人が鼻をつまんで飛び出してきた。
「臭い。もうたまらん」。
続いて、何分後かに、韓国人。
やはり鼻をつまみ、相当に参った様子だ。
しかし、中国人はなかなか出てこない。
10 分、20 分、30 分・・・。
まだか、まだか、と待っていると、何とブタの方が飛び出してきた。
「あんな不潔なやつとは、とても一緒におれたものではない」と。
韓国滞在中、次のような小話を何人もの韓国人から聞かされた。
韓国人と日本人と中国人がいっしょに豚小屋に入ったとする。
さて、どんなことが起こったか?
一分ともたず、真っ先に日本人が鼻をつまんで飛び出してきた。
「臭い。もうたまらん」。
続いて、何分後かに、韓国人。
やはり鼻をつまみ、相当に参った様子だ。
しかし、中国人はなかなか出てこない。
10 分、20 分、30 分・・・。
まだか、まだか、と待っていると、何とブタの方が飛び出してきた。
「あんな不潔なやつとは、とても一緒におれたものではない」と。
何と言うことを言うのだと、苦笑される読者諸兄姉もおられることだろう。
ただ韓国人とはそのようにあからさまな人々であり、このような伝統的なイメージがかえって、大陸というとてつもなく広い地域を占める中国に歴代呑み込まれることもなく、彼らが安全に身を処す糧になってきたことだけは知っておいてもよいことだろう。
朝鮮民族の排外主義には行きすぎの面が多々あるが、彼らは異民族を倫理のネタなぞにしてはいけないことだけは、骨身に染みて知っているのである。
そして、そのような禁を敢えて犯し、中国人を倫理の高みに押し上げてしまった日本は、2005年4月の反日暴動で少しく目覚めたとはいえ、いまだ完全に覚醒することがないがゆえに、おそらくは次の北京オリンピックにおいて、この上なく激しい落下感、すなわち失望感を味わうことになるだろう。
なぜならば、同オリンピックをナショナリズム昂揚の最大の機会と狙っている彼らが、日本の金メダル獲得を全人民的に妨害しようと血眼になることは火を見るより明らかだからである。
いわゆる、ホームラウン・ディシジョン(偏向判定)の問題が、かつてないほど鮮烈なる形で現れるに違いない。
そのときに多くの日本人が、怒りのうねりに身をまかせて感情に押し流されることを筆者は何よりも恐れているのである。
かつて 1988年のソウル・オリンピックの時もそのようなことがあったが、あのときには日本経済が好調で日本人にも余裕があった。
それに韓国と中国では日本人の感覚に微妙な温度差がある。
中国に対しては古代文明の先達としてどこかしら畏敬の念を向けている日本人が少なくないが、韓国に対してはそれがない。
それがない分、韓国の方の落下感はより低い程度で済んだとも言えるのである。
新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )
第3章 贖罪大国日本の崩壊
1.戦後日本の「愛国しない心」
2.韓国での排外体験
3.愛国心とナショナリズム
4.贖罪の宣伝戦
5.「倫理の高み」にのぼった中共
6.軍民二分論の破綻
7.韓国人の中国人評
8.朝鮮への贖罪工作
9.良心的知識人たちの「善意」
10.贖罪大国の崩壊
日本は東アジアの一員じゃない
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