◆ 第8章 (5) ポスト近代の新しい神々の国 [ ❒ 新しい神の国(古田博司著)]
久石譲 ~ 風の通り道 (1988-となりのトトロ Soundyrack)
古田博司著『新しい神の国』
第8章 新しい神の国
5. ポスト近代の新しい神々の国
日本は80年代にポスト近代に入ってから、すでに30年近くを経過した。
そして今、近代という時代を回顧すれば、それは先ほども述べたように、つとめて一神教的な時代であったと思われる。
理想へと向かう一直線の願望があり、物事が形成される根源も一つの普遍へと探求された。
人間の富と淵源とは何か、労働である。
と、豁然貫通したものたちは、労働価値説を選んだ。
あらゆる精神病理上の原因は何か、父親へのエディプス・コンプレクスであると断定したものたちは、その実、ヨーロッパ後進国の家父長的伝統から派生した言説の一つを学んだのであった。
これらの近代の思想は、ポスト近代に入るやたちまち褪色した。
なぜならば、それらの志向性のほとんどが普遍を「信じる力」に依拠したものであり、現実的な課題への対処としては役に立たず、哲学的な課題を一言のもとに断言したにすぎないことが明らかになってしまったからである。
哲学的な課題はこれからも人間存在の重要なテーマとして生き残りつづけるであろうが、それらを直接社会事象に適応させることについては、これからもますます禁欲的にならざるを得なくなることであろう。
しかし前時代への未練を引きずり、共同体への信頼を取り戻そうとする人々や、大きな物語を偽造して哲学的課題に答えようとする人々、「信じる力」を回復しようと現実から剥離していく人々も跡を絶たないだろう。
そのような人々は、積極的であれば原理主義者となり、消極的であれば厭世家、怨恨者、あるいはアナーキーな性向を帯び、「無窮動の否定者」となって社会を混乱させるかもしれない。
ある人は、共同体は近代の目標を失って解体し、若者は夢をなくし、国内の階層や階級の対立は日を追って激しくなり、このままでは日本は経済的にも倫理的にも世界で落語していくのではないかと危惧する、あるいはさせる。
だが筆者には、そのようにはとても思われない。
否、それ自体がマスコミを通じて、怨恨共同体の宣伝扇動に乗せられているのではないかと疑うのである。
あいかわらず日本は、国内で伝統を守りつづける、何千にものぼる優良企業を持つ世界第二の経済大国である。
(↑)
この2年後でしたか、中国に抜かれましたけど、
自民党が政権を奪回したので、再び 2位と言わず、
アメリカを抜いて 1位も夢じゃない!!w
筆者の大学の学生を見ても、若者たちは若干自己中心的ではあるが、これは道徳教育を看過してきたツケであり、「感謝・尊敬・愛情」などの徳目をしっかり教えれば、たちまち襟を正す。
カント以来、道徳が論理的に説明できるものでないことはすでに明白であろう。
他方、彼らの情報処理能力は前の世代に比べて格段であり、民度は確実に上がっていると言える。
国内の格差や対立は大きな問題であるが、現実的に対処していけば矯(た)められる問題であり、争乱が日々激化しているわけではない。
倫理的にも戦後60年間、平和国家を営々と築いてきたのであり、何千万もの無辜(むこ)の国民を餓死に至らしめた近現代史を持つわけでもなければ、他国にミサイルを放ち胸を張るような愚行を犯したこともない。
日本は左翼系のマスコミの写実によるものではなく、もっと現実的に自分の姿を見るべきではないのか。
そして、日本の民衆は
・怨恨共同体の宣伝的言辞を絶えずティーゼイトして漂白し、(← !!)
・すでに脱亜している日本を無理やり東アジアに結びつけて、
反日勢力の連帯を形成しようとするアジア主義者たちの企画を挫き、
・現在、近代真っ盛りの韓国、近代の入口にある中国、中世に退行した北朝鮮
などの異なった時代を生きる「異時代国家群」からの攻撃に現実的に対処しつつ、
・経済交流の可能な相手とはその局面では互いに儲け合い、
・美しい日本の伝統を写実して後世へ遺産として伝えると共に、
・「和は己をもって貴しと為す」 という日本の精神で日本文明圏を守り抜く。
これぐらいの施策で日本は十分すぎるほど立っていけるのであり、日本人の気力を挫くような宣伝扇動に騙されない限り、立派にポストモダンを勝ち抜いていけるのだと、筆者は考えている。
そして、そのような現実感覚を身につけ、努力を怠らない、多くの賢明な民衆に支えられた日本国を、私は「新しい神の国」と呼びたいのである。
第8章 新しい神の国
5. ポスト近代の新しい神々の国
日本は80年代にポスト近代に入ってから、すでに30年近くを経過した。
そして今、近代という時代を回顧すれば、それは先ほども述べたように、つとめて一神教的な時代であったと思われる。
理想へと向かう一直線の願望があり、物事が形成される根源も一つの普遍へと探求された。
人間の富と淵源とは何か、労働である。
と、豁然貫通したものたちは、労働価値説を選んだ。
あらゆる精神病理上の原因は何か、父親へのエディプス・コンプレクスであると断定したものたちは、その実、ヨーロッパ後進国の家父長的伝統から派生した言説の一つを学んだのであった。
これらの近代の思想は、ポスト近代に入るやたちまち褪色した。
なぜならば、それらの志向性のほとんどが普遍を「信じる力」に依拠したものであり、現実的な課題への対処としては役に立たず、哲学的な課題を一言のもとに断言したにすぎないことが明らかになってしまったからである。
哲学的な課題はこれからも人間存在の重要なテーマとして生き残りつづけるであろうが、それらを直接社会事象に適応させることについては、これからもますます禁欲的にならざるを得なくなることであろう。
しかし前時代への未練を引きずり、共同体への信頼を取り戻そうとする人々や、大きな物語を偽造して哲学的課題に答えようとする人々、「信じる力」を回復しようと現実から剥離していく人々も跡を絶たないだろう。
そのような人々は、積極的であれば原理主義者となり、消極的であれば厭世家、怨恨者、あるいはアナーキーな性向を帯び、「無窮動の否定者」となって社会を混乱させるかもしれない。
ある人は、共同体は近代の目標を失って解体し、若者は夢をなくし、国内の階層や階級の対立は日を追って激しくなり、このままでは日本は経済的にも倫理的にも世界で落語していくのではないかと危惧する、あるいはさせる。
だが筆者には、そのようにはとても思われない。
否、それ自体がマスコミを通じて、怨恨共同体の宣伝扇動に乗せられているのではないかと疑うのである。
あいかわらず日本は、国内で伝統を守りつづける、何千にものぼる優良企業を持つ世界第二の経済大国である。
(↑)
この2年後でしたか、中国に抜かれましたけど、
自民党が政権を奪回したので、再び 2位と言わず、
アメリカを抜いて 1位も夢じゃない!!w
筆者の大学の学生を見ても、若者たちは若干自己中心的ではあるが、これは道徳教育を看過してきたツケであり、「感謝・尊敬・愛情」などの徳目をしっかり教えれば、たちまち襟を正す。
カント以来、道徳が論理的に説明できるものでないことはすでに明白であろう。
他方、彼らの情報処理能力は前の世代に比べて格段であり、民度は確実に上がっていると言える。
国内の格差や対立は大きな問題であるが、現実的に対処していけば矯(た)められる問題であり、争乱が日々激化しているわけではない。
倫理的にも戦後60年間、平和国家を営々と築いてきたのであり、何千万もの無辜(むこ)の国民を餓死に至らしめた近現代史を持つわけでもなければ、他国にミサイルを放ち胸を張るような愚行を犯したこともない。
日本は左翼系のマスコミの写実によるものではなく、もっと現実的に自分の姿を見るべきではないのか。
そして、日本の民衆は
・怨恨共同体の宣伝的言辞を絶えずティーゼイトして漂白し、(← !!)
・すでに脱亜している日本を無理やり東アジアに結びつけて、
反日勢力の連帯を形成しようとするアジア主義者たちの企画を挫き、
・現在、近代真っ盛りの韓国、近代の入口にある中国、中世に退行した北朝鮮
などの異なった時代を生きる「異時代国家群」からの攻撃に現実的に対処しつつ、
・経済交流の可能な相手とはその局面では互いに儲け合い、
・美しい日本の伝統を写実して後世へ遺産として伝えると共に、
・「和は己をもって貴しと為す」 という日本の精神で日本文明圏を守り抜く。
これぐらいの施策で日本は十分すぎるほど立っていけるのであり、日本人の気力を挫くような宣伝扇動に騙されない限り、立派にポストモダンを勝ち抜いていけるのだと、筆者は考えている。
そして、そのような現実感覚を身につけ、努力を怠らない、多くの賢明な民衆に支えられた日本国を、私は「新しい神の国」と呼びたいのである。
新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )
第8章 新しい神の国
1.天皇が大好きな韓国人
2.天皇をうらやましがった中国人
3.実在すること自体にある美しさ
4.裏切りつづける怨恨共同体
5.ポスト近代の新しい神々の国
あとがき
◆ 日本は「東アジア」の一員じゃない
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