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◆ 第2章 (4) もっと現実的になるべきではないか [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


GEPE ~ Mamekyi Nazuk (2012)



古田博司著新しい神の国

第2章 マルクスどもが夢のあと


4. もっと現実的になるべきではないか


さて、これからの日本の学問、とくに社会科学の研究や教育をどうするかという問題を考えてみたい。


もちろん筆者もそうなのだが、日本人はつくづく写実的な民族だと思うことがある。

学者であれば、重箱の隅をつつくような研究が得意だし、芸術家であればディテールにこだわる描写が本領であろう。

しかし、写実的であるということは、現実的であるとは限らない。

もっとも英語にすれば、両方ともリアルになってしまうから、以下私がお話しすることはおそらく日本人にしか通じない話であろう。


たとえば私の専攻は東アジアだが、中国・韓国・北朝鮮とそれぞれに専門家がおり、歴史・思想・経済・社会・文学などさまざまに細分化されていて、互いに微に入り細を穿(うが)ち、集まると何を言っているのか誰にもわからない。(← ふ、ふるたせんせぇ~www)


現実的な絆があれば、なんとか対話ができそうなものだが、伝統的に現実的でないのでうまくいかない。

絆といえば、古代から連綿と続いた、「周りはみんな良い人で、話し合えばわかる」という素朴な世界観だけである。

これでよく近代化できたものだと、来し方を振り返れば、ただただ呆然とする。


かつて戦時中、兵站もあまり考えずに大陸侵略にのめりこみ、勝ち戦で万万歳と叫ぶうちに、今度は占領地に人の良い教育者や農業技術者が入っていき、近代化の教育をはじめた。

植民地となると、西欧では善良な宣教師の後に獰猛な軍隊がやってくるのだが、日本では順序が逆である。

まず侵略して、そのあとに人の良い校長先生や神主さんやら、大工の棟梁がやってきて、みんあで地域を開発し、全体で金が足りなくなると、日本政府から送金してもらっていた。

もちろん現地の人々を見下す人もいて、そういう感情の問題が戦後になってもつれるのであるが、一様に善良で皆一生懸命に近代化をやった。


先が見えないのは本土も同じで、官僚主導で、爆撃の際に「燃えない都市」を作ろうと写実的にそして緻密に計画を練った。

それも現実的な焼夷弾の数発で灰燼に帰し、最後には、アングロ・サクソンに詰めていた将棋を将棋盤ごとひっくり返されて、ふと我にかえったのであった。


さて、今度は平和な現代の話でである。


韓国の経済がよかった 1990年代前半、韓国研究者も随分と人数が増え、研究も精緻になっていった。

民間企業もたくましく進出していった。

しかし誰も金融危機を予測できはしなかった。 


次は中国の番である。

そこには金融システムもなければ、手形の不渡りに対する法的ペナルティも存在しない。

したがって不良債権がたまろうと、バブルははじけないとも言われている。

要するにまっとうな市場経済ではないので、経済学者たちも予想しかねているのである。

恐ろしいと思うのだが、日本企業はまたもや次々と進出している。

そしてお決まりのように、あの純朴な世界観が登場し、その中で議論が白熱化していくのだ。

ところが、東アジアの人々からみれば、日本人は話し合ってもわからない相手である。

そこで現実とずれることになってまた苦しむ。


こんなことばかり繰り返しているうちに、失望の歳月は積み重なっていった。

つまり、自分の方の見方ばかりどんどんと細かくかつ詳しくなっていくのに対して、相手方からの視点がほとんど考慮されないのだ。

したがって、現実的になりようがない。

30年間、東アジアの研究に携わってきた筆者からみれば、中国人も韓国人も北朝鮮人も日本人が圧倒的に嫌いである。

これは否定すべくもない事実で直しようがない。


個人的には日本人に好意を寄せていても、同族が集まって集団的な見解を述べる際には必ず反日になる。

なぜならば、日本人は中華の礼(道義)からもっとも遠いところにいる蛮族なのであり、その蛮族が自分たちを見下し侵略し、なすすべもなく茫然自失しているうちに、勝手に敗戦して (← wwwww) 戦後また繁栄していると見えるからである。(← 思わず机をバンバンバンッ!!)


日韓基本条約のときも日中友好条約のときも、そのような日本からの援助が欲しかっただけで、その当時は嫉妬も押し隠して笑顔を向けた。

しかしその微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていったではないか。


そして戦後からずっと、「東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる」といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。

伝統的なことにかけては、右も左もない。

日本では「伝統的な善人」や、「国際的な正義派」がいつも国を過(あやま)つのである。




新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第2章 マルクスどもが夢のあと

1.歴史的必然を信じた人々
2.偽の近代精神の自滅
3.ポスト近代におけるマルクスの残留思念
4.もっと現実的になるべきではないか
5.演繹より帰納重視の教授法
6.教養は教えられるか



文明の衝突
日本は東アジアの一員じゃない


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