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◆ 第5章 (5) 何を言っているのか分からない人たち [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


AIRBOURNE ~ Live It Up (2013)



古田博司著新しい神の国

第5章 神々の復権


5. 何を言っているのか分からない人たち


近代は生真面目な時代であり、ほんとうに真面目に生きていないと怒られる時代であった。

人生の意味はあらかじめあるものだと信じられていたし、進歩することは良いことだと教えられ、人々は疑わなかった。

真面目に考え真面目に生きるのが良心的であり、その良心の背景を探ることさえしなかった。


そんな近代の真っただ中に日本浪漫派という一群の人たちがいて、太宰もその一人であった。

いちおう文学史的には、日本浪漫派は近代批判、伝統回帰を主張したということになっているのだが、本当にそうなのだろうか。

今日その主要メンバーであった保田輿重郎の文章を見てみると、まず第一に、なにを言っているのかわからないというのが特徴的である。


①時宗のあとの北条幕府は衰滅に向ふわけであるが、頂きは衰滅の峠であることが、人間的野心の完璧なものの運命である。

けだしそれが支那の歴史の真理である。

元寇に対応した時宗は、最初から幕府の御家人のみでこれを撃退する信念をもつてゐた。

それが幕府の完璧である。

(「日本文学史大綱」〔七、わびさび〕1943年、『保田輿重郎全集』第 23巻、講談社、1987年)


誰が何といおうと、私にはこの文章がまったくつかめない。(←  私も!!w)

もちろんその全集は45巻もあって、その中には分かるものもあるのだが、分からないものはこのように分からないのである。

そして、分かるものの幾つかは橋川文三のいうように、今日では「放埒」のそしりを免れない。


た ゞ 今日のこととして云へば、二十歳前後の少年航空兵が、わが生身を爆弾として、プリンスオブウエルスを南海に葬つたという一事は、そのこと自体の中に、世界の思想を驚愕一変せしめ、世界地図を変更せしめるものがあるのである。

これを単に世界の思想史の上からみても、凡百、十九世紀以後の天才が行つたどんな思想学芸をとつてみても、この一事の大に及ばぬ。

この事実が日本思想であり、日本思想の今日の現れ方はかういふ形をとつて世界と全人類に示されるのである。

( 「理慶尼の記 ―武田勝頼滅亡記」1942 ~ 43年、同上)


  (↑) はあ? なんだと?! 武田勝頼・・・
       どうやら私より支離滅裂な脳みそ構造らしい・・・


丸山眞男の弟邦男は前述のように、戦後は北朝鮮擁護の良心的知識人として登場するが、戦前は、
「慶応高等部のころに保田輿重郎の作品を愛読し、戦場での死にあこがれ、出征したものの、“不運にも” 入隊直後に熱を出して勤労動員に回され、生きのびた」(苅部直『丸山眞男』前掲)
人物だという。


また前掲の橋川文三の本の中にも、保田輿重郎の本を背嚢に入れて出征した青年たちの話が出てくる。

このように放埒で熱に浮かされたような文章がおそらく当時の時代環境には適合していたのであろう。


しかし中国共産党や朝鮮労働党のプロパガンダを読み慣れた筆者には、残念ながら『毛沢東語録』の「青年たちよ、世界は君たちのものだ」くらいの感興しか湧かない。

放縦かつ放埒な文章など、実は世界に掃いて捨てるほどあるのだ。


それよりも私にとって感興をつよく牽引するのは、保田の何を言っているのか分からない文章の方である。

つぎに、もう一人同じく日本浪漫派のメンバーだった小林秀雄の文章も挙げてみよう。

これも同じく、“何を言っているのか分からない”。


併し、ロヂックといふものは、ヘエゲルが考へた様に、決してそんな浅薄なものではない。

又あるてはならぬ。

ロヂックといふものは抽象的なものであり、メカニックなものであり、それが具体的な生きた現実に、どの程度まで当て嵌まるか、それが、現実をどの程度まで覆ふに足りるか、そんな事が問題ではない。

そんな風に問題をいつも出してゐるから、いつ迄たつてもロヂックの極意に達しないのであります。

話が逆様なのである。

生きた人生の正体が即ちロヂックといふものの正体なのだ、この正体を合理的に解釈する為の武器として或いは装置としてロヂックがあるのではない。

さういふロヂックは見掛けのロヂックに過ぎないのである。 

ヘエゲルが、或る日山を眺めてゐて、「まさにその通りだ」と感嘆したさうです、さういふ話が伝はつてゐます。 

この逸話は「凡そ合理的なものは現実的であり、凡そ現実的なものは合理的だ」といふあの有名な誤解され易い言葉より、ヘエゲルの思想を直截に伝へてゐる様に思はれます。

富士山を眺めて山部赤人も「まさにその通り」と言つたに相違ありませぬ。

(「事変の新しさ」1940年、『小林秀雄全集』第7巻、新潮社、1976年)


  (↑) アタマ、かゆくなってきた・・


いったい何を言っているのか、私にはサッパリわからない。断じてわからない。

第一、ヘーゲルは
「理念的なものは実在的である」(←  あら、中華文明と同じだわ!)
といったのであり、
「現実的なものは合理的だ」
と言ったのではないし、山を見て何か言ったというのを私は知らない。

富士山を眺めて山部赤人が何を言ったか分かるわけがない。(←  wwwww)

それに、それがロジックと一体何の関係があるというのだ。


今までのパターン認識から言えることは、これらの分からない文章が何かを茶化しているであろうことである。

「分からない文章をありがたがる民衆」を茶化しているのだろうか。


小林の文章にはたしかにそのような「玩弄」があり、度を越すと読者を「恫喝」しているような所さえある。 


併し、今日の様な批評時代になりますと、人々は自分の思ひ出さへ、批評意識によるて、滅茶苦茶にしてゐるのであります。

戦に破れた事が、うまく思ひ出せないのである。

その代り、過去の批判だとか清算だとかいふ事が、盛んに言はれる。

これは思ひ出す事ではない。

批判とか清算とかの名の下に、要するに過去は別様であり得たであらうといふ風に過去を扱つてゐるのです。

凡庸な歴史家なにみ掛け替へのなかつた過去を玩弄するのである。

(「私の人生観』1949年、『小林秀雄全集』第9巻、同、1976年)


これが、「戦前戦中のオレことなんか掘り返すんじゃねえ」と、聴衆を恫喝しているのでなければ、ほかの文意を誰か、教えてもらいたいものである。


総じて言えば、保田や小林などの日本浪漫派の文章というのはプロパガンダくさいというのが筆者の見立てである。

ある時は放埒、放縦、ある時は読者を煙に巻き、何を言っているか分からない。

あるいは読者を茶化し、玩弄し、恫喝する。(← wwwww)


保田輿重郎の場合は、「無残の美」に読者をいざなうという最終目標があり、この目標にかかわる府では妙に冴えわたった。

そして彼が詠んだ歌などは実に美しいのである。


「(鎮魂歌)うつし世に己(シ)が魂ふるとのべまつるかしこき神のものがたりかな」

「(遊び歌)見わたせばやま野もいへもかすむなりわが立つ淀の川のさ霧に」

(「天杖記」1944年、『保田輿重郎全集』第23巻、同、1987年)

などという作品は尋常でなく非凡である。

その非凡さが戦前の多くの若者を魅了したのであろう。


しかし、日本浪漫派のティーゼイションはティーゼイションであり、それはやりすぎてプロパガンダ化してしまった体のティーゼイションである。

彼らのそれは民衆を愚弄する類のものでしかなくなってしまった。


このような彼らの堕落が、戦後の日本のティーゼイションをまったく駄目なものにしてしまったように筆者には思われる。

敗戦の1945年からポスト近代に入る1980年代まで、それは見る影もなく衰退し、進歩的文化人や良心的知識人の論壇壟断をゆるし、中国共産党や朝鮮労働党の思想工作をなすがままに受け入れてしまうような、反骨と挑戦のない時代がこうして始まった。




新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第5章 神々の復権

1. 日本の茶化し文化

2.2ちゃんねらーのティーゼイションと左翼の堕落
3.ティーゼイションが社会的対象を喪った近代
4.自己をテイーゼイトする私小説
5.何を言っているのか分からない人たち
6.大本営的虚構の背景



文明の衝突
◆ 日本は東アジアの一員じゃない




AIRBOURNE ~ Live It Up (2013)


ありゃ?! AC/DC からの脱皮ですかw

それにしてもこれは・・・確か WHO だよなあ・・・ 

というワケで10 年・・・いやもっと経つな。

とにかく記憶の彼方の THE WHO を引っ張り出して聴いてみて、正解だったことに自分で驚くw 

しかし、イントロが終わると・・・誰だ?! デフ・レパとか浮かんじゃいましたけど(^^;



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