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◆ 第5章 (4) 自己をテイーゼイトする私小説 [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


STONE SOUR ~ Do Me A Favor  (2013)



古田博司著新しい神の国

第5章 神々の復権


4. 自己をティーゼイトする私小説


なぜ日本のティーゼイションは近代の間、社会的対象を喪ってしまったのだろうか。

それには近代化が日本にとって、他の多くの諸国と同じく移植であったということが大いに関係しているように思われる。


西洋近代風の個人主義文学が日本人にとっていかに無理多きものであったか。

日本の小説家が西洋のような個人主義の小説を書こうとしても、周囲に個人主義的な社会はなかったのだ。

これは他の芸術も似たり寄ったりであり、日本の油絵画家が洋画を描こうとキャンバスに向かっても、そこに広がるのは日本のメリハリのない田舎の風景であり、捉えどころのない曖昧な人々の姿であった。


しかし日本の近代は、そのような彼らに躊躇する暇を与えはしなかった。

近代化=西洋化は絶対的な命題であり、戯作家が戯作を書く余裕すらない。

戯作の能力を有するものたちも、おそらく、近代化による身分上昇のチャンスに恵まれた結果、出世のための教養主義にひたすら囚われ、社会を茶化すよりは一つでも英単語を覚え、試験に勝ち抜くことを考えたに違いないのである。


前述の私小説家・嘉村磯多でさえ、
「帰京したら夜学に通つて英語の稽古をして外国の小説を学んで手本にしよう、願徒然ならず、一心でやりますから、万事いい方に向けるやうにしますから、と無言で父に詫びた」( 「神前結婚」同上)
のであった。 


嘉村の場合、家が小作人で貧しすぎて洋書も買えず、視野は自分の周囲に限られていたのであり、自己を茶化す度量も太宰よりははるかに小さくならざるをえなかったが、ティーゼイトすることが日本文学の本分と心得、私小説の戯作を嘔吐のように吐きつづけたのであった。


もしかしたら彼らは、絵画の方でいえば当時の日本画家に相当していたのかも知れない。

描くべき風景や人物に西洋近代的なものがない中で、何かを描かねばならない。

淡い色合いを駆使し、西洋風な筆で画面を埋め尽くすには、近代の「個」など徹底的に無視し、前近代の唐(から)の大仰などは捨て、自分の頭の中の素の風物を遠近法だけは守りながらただただ写実的に描く。


文学も然りではないか。

個人主義文学はつとに終わってしまい、荷風の江戸戯作趣味と近代の生真面目のミックスも終わり、絶えず真面目さを要求してくる近代に抗して、冗談じゃねぇやと尻をまくった彼らに書けるものといえば、「個人」でない自分を徹底的に茶化し、身の回りのことを写実的に書く意外にはなかったのではあるまいか。


そのような時代背景で太宰治がとった戦略は、その極致としての「個の消失点」へと向かう戯けと投げ遣りによる、徹頭徹尾の「自分つぶし」 のティーゼイションであったように私には思われる。


太宰いわく、

捜索年表とでも称すべき手帳を繰つてみると、まあ、過去十何年間、どのとしも、どの年も、ひでえみじめな思ひばかりして来たのが、よくわかる。

いつたい私たちの年代の者は、過去二十年間、ひでえめにばかり遭つて来た。

それこそ怒涛(どたう)の葉つぱだった。

めちや苦茶だつた。

はたちになるやならずの頃に、既に私たちの殆んど全部が、れいの階級闘争に参加し、或る者は投獄され、或る者は学校を追はて、或る者は自殺した。

東京に出てみると、ネオンの森である。

曰く、フネノフネ、曰く、クロネコ。

曰く、美人座。

何が何やら、あの頃の銀座、新宿のまあ賑ひ。

絶望の乱舞である。

遊ばなければ損だとばかりに眼つきをかへて酒をくらつてゐる。

つづいて満洲事変。

五・一五だの二・二六だの、何の面白くもないやうな事ばかり起つて、いよいよ支那事変になり、私たちの年頃の者は皆戦争に行かなければならなくなつた。

事変はいつまでも愚図々々つづいて、蒋介石を相手にするのしないのと騒ぎ、結局どうにも形がつかず、こんどは敵は米英といふ事になり、日本の老若男女すべてが死ぬ覚悟を極(き)めた。

実に悪い時代であった。

( 「十五年間」1946年、『太宰治全集』第8巻、筑摩書房、1990 年)


この捨て鉢な語調は、どこを取っても戯作家のそれであり、江戸の洒落本の匂いを粉々と漂わせている。


1920年代にはマルクスや共産主義が流行って友人たちは運動に加わって捕まり、大学を追われ、あるものは自殺した。

ひょっとすると社会的対象への批判の方には、戯作家の出番はまったくなく、マルクス主義に全部吸い取られてしまったのかも知れない。


だが、そんな思想空間を離れれば、都はまったくのデカダンで繁栄しており、壇一雄の『小説太宰治』にあるように太宰は享楽の日々を東京で過ごすことになった。

ここが豪農出身だが、望郷の念が強かった嘉村磯多などとは大違いの点である。

ほんとうの戯作は、金持ちで育ち柳巷の水をがぶのみした太宰のような人間にしか書けない道理である。


しかし、大恐慌を経て1930年代に入ると、そんな放蕩もままならなくなり、世界はブロック化する戦争やクーデタなど次々に起きて、やがて日中戦争、太平洋戦争と戦禍は拡大し、日本は滅茶苦茶になってしまった。

と、今の筆でトレースすれば太宰の回顧はこんなふうになるだろうか。


丸山眞男の弟子の橋川文三は、この太宰たちの心性を語って、

「 『混沌未形』の時代状況の中で、知的錯乱のあらんかぎりを展開し、ついに現実的なるものをすべてイロニイの対象とするにいたったのが日本ロマン派の『過激ロマンチシズム』であった」

(『増補 日本浪漫派批判序説』未来社 1965年初版 1967年二刷)

などと言い、太宰を浪漫派の中で批判しているのだが、果たしてこれは正しいか。


ここでもう一度、2ちゃんねらーたちを揶揄する北田暁大の言説をここにもってくる。

「アイロニズムを消尽した後に立ち現れる、「現実主義」というロマン的意匠を施された、確信犯的ナショナリズム以上の「厄介な (そして危険な)政治的投企」 ・・・。

なにか言い様が橋川とそっくりではないか。 


これらの批判はおそらく、橋川文三も北田暁大も、頭が近代の生真面目系の道学先生であるため、類似の回路に導かれたのだと筆者には思われるのである。

はじめからティーゼイションを嫌っていて、「真面目なことを冗談のようにしてしまう」彼らが、丸山先生同様、不愉快で仕方がないのである。


しかし彼らがいくら嫌っても、これは日本の伝統文化に深く根ざしたものである。

そのことは既に述べた。

ティーゼイションには「冗談にかこつけてごまかす」という悪い面ももちろんあるが、対象に対しあからさまに写実的であり、反骨と挑戦の態度を育てたというプラスの面もやはり評価しなければなるまい。

ただのアイロニズムではないである。




新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第5章 神々の復権

1. 日本の茶化し文化
2.2ちゃんねらーのティーゼイションと左翼の堕落
3.ティーゼイションが社会的対象を喪った近代
4.自己をテイーゼイトする私小説
5.何を言っているのか分からない人たち
6.大本営的虚構の背景



文明の衝突
◆ 日本は東アジアの一員じゃない


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