◆ 第7章 (3) 嫌われることを恐れる心性 [ ❒ 新しい神の国(古田博司著)]
PSY ~ Gentleman (2013.04.14)
古田博司著『新しい神の国』
第7章 和人たちの夏
3. 嫌われることを恐れる心性
そうなのである。私たち日本人は、おそらく嫌われることを大変に恐れる民族らしいのだ。
閉鎖的なムラ意識などと野暮なことをいうつもりはない。
閉鎖的な農村ならば、世界中にいくらでもあるだろう。
先に述べたように、日本の地政学的な位置というのは案外大きい原因なのかもしれない。
しかし根拠とするには、事柄の大小に飛躍がありすぎる気がする。
というわけで、日本人社会はそうなっているらしいということを、読者諸兄姉に告げるだけしかできそうもない。
しかし、それではいかにも座りがわるいので、参考のために16世紀に日本に来た宣教師ヴァリニャーノの次のような日本人観察録を挙げておこう。
お互いに嫌い合っていて、瞬時に怒りを発すれば際限なく復讐劇が始まってしまう。
中世の日本人は身分の上下を問わず強烈な自尊心を持つがゆえに相当にキレやすく、被害を受ければ復讐に訴えるのは当然だと考え、自分の属する集団の受けた被害を自らの痛みとして共有し、ひとたび復讐が始まると報復は報復をよび、社会紛争を大いに激化させたものだという。
このやられたらやり返すという、法政史上の「衡平感覚」、人類学上の「相殺主義」をいさめるためにも、日本では喧嘩両成敗の慣習法が発達を遂げ、「折中の法」で利害を折半したり、「解死人制(げしにんせい)」とよばれ、加害者の側に配下の者(直接手をくだした犯人でなくともよい)を送り、相手にその処刑をゆだねて謝罪する方法まで取られていたというのである。
(清水克行『喧嘩両成敗の誕生』講談社選書メチエ、2006年)
このような伝統は現代にも受け継がれ、現行法には過失相殺という世界にも得意な制度があり、交通事故などで自己の被害者にも一定の過失が認められる場合には、損害の割合を被害者・加害者で 「痛み分け」をすることがある。
また、厚生年金や社会保険の保険料を勤め先と本人で折半する、いわゆる労使折半の原則があり、その起源は大正時代に初めて成立した社会保険法みまで遡るらしい。
ここからは筆者の考えだが、そのような敵対関係の相互報復のエスカレーションを阻止するため、喧嘩両成敗の慣習法が発達したと同時に、日本人は「嫌われることを恐れる」ことによって、互いの衝突を未然に防ぎ、あらかじめ報復の根を断ってきたのではないかと思われるのである。
簡潔に言えば、人に嫌われていて、いつかやられるのではないかと恐れるがゆえに、直截的な発言は避けて遠回しにものを言い、感情をあまり表さないようにして怒りなどは胸中におさめて忍び、外交辞令は絶やさぬように日々怠りなく人に気を遣う。
前掲の宣教師ヴァリニャーノの言は、このように言い換えた方が、日本語としてずっと麗しいものになるだろう。
そしてそのような情況が、日本人の心性としての「和」を生んだのではないか。
人に嫌われることを恐れるがゆえに、人に優しく気を遣い、物事をまるく収めて、皆の良いように損得を塩梅し、穏やかで柔和な日本人社会をこれまで築きあげていたものと見るのである。
たとえ背後に、ヴァリニャーノの言うような意図があったとしてもである。
このようにして、「和をもって貴しとなす」 ― という社会が誕生したのではないか。
第7章 和人たちの夏
3. 嫌われることを恐れる心性
そうなのである。私たち日本人は、おそらく嫌われることを大変に恐れる民族らしいのだ。
閉鎖的なムラ意識などと野暮なことをいうつもりはない。
閉鎖的な農村ならば、世界中にいくらでもあるだろう。
先に述べたように、日本の地政学的な位置というのは案外大きい原因なのかもしれない。
しかし根拠とするには、事柄の大小に飛躍がありすぎる気がする。
というわけで、日本人社会はそうなっているらしいということを、読者諸兄姉に告げるだけしかできそうもない。
しかし、それではいかにも座りがわるいので、参考のために16世紀に日本に来た宣教師ヴァリニャーノの次のような日本人観察録を挙げておこう。
また彼らは、感情を表わすことにはなはだ慎み深く、胸中に抱く感情を外部に示さず、憤怒の情を抑制しているので、怒りを発することは稀である。
(中略)
換言すれば、互いにはなはだ残忍な敵であっても、相互に明るい表情をもって、慣習となっている儀礼を絶対に放棄しない。
(以上、第一章)
胸中を深く隠蔽していて、表面上は儀礼的で鄭重な態度を示すが、時節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら耐え忍ぶのである。
(以上、第十六章)
(『日本巡察記』松田毅一ほか訳、平凡社、東洋文庫、1973年初版、1988年9刷)
(中略)
換言すれば、互いにはなはだ残忍な敵であっても、相互に明るい表情をもって、慣習となっている儀礼を絶対に放棄しない。
(以上、第一章)
胸中を深く隠蔽していて、表面上は儀礼的で鄭重な態度を示すが、時節が到来して自分の勝利となる日を待ちながら耐え忍ぶのである。
(以上、第十六章)
(『日本巡察記』松田毅一ほか訳、平凡社、東洋文庫、1973年初版、1988年9刷)
お互いに嫌い合っていて、瞬時に怒りを発すれば際限なく復讐劇が始まってしまう。
中世の日本人は身分の上下を問わず強烈な自尊心を持つがゆえに相当にキレやすく、被害を受ければ復讐に訴えるのは当然だと考え、自分の属する集団の受けた被害を自らの痛みとして共有し、ひとたび復讐が始まると報復は報復をよび、社会紛争を大いに激化させたものだという。
このやられたらやり返すという、法政史上の「衡平感覚」、人類学上の「相殺主義」をいさめるためにも、日本では喧嘩両成敗の慣習法が発達を遂げ、「折中の法」で利害を折半したり、「解死人制(げしにんせい)」とよばれ、加害者の側に配下の者(直接手をくだした犯人でなくともよい)を送り、相手にその処刑をゆだねて謝罪する方法まで取られていたというのである。
(清水克行『喧嘩両成敗の誕生』講談社選書メチエ、2006年)
このような伝統は現代にも受け継がれ、現行法には過失相殺という世界にも得意な制度があり、交通事故などで自己の被害者にも一定の過失が認められる場合には、損害の割合を被害者・加害者で 「痛み分け」をすることがある。
また、厚生年金や社会保険の保険料を勤め先と本人で折半する、いわゆる労使折半の原則があり、その起源は大正時代に初めて成立した社会保険法みまで遡るらしい。
ここからは筆者の考えだが、そのような敵対関係の相互報復のエスカレーションを阻止するため、喧嘩両成敗の慣習法が発達したと同時に、日本人は「嫌われることを恐れる」ことによって、互いの衝突を未然に防ぎ、あらかじめ報復の根を断ってきたのではないかと思われるのである。
簡潔に言えば、人に嫌われていて、いつかやられるのではないかと恐れるがゆえに、直截的な発言は避けて遠回しにものを言い、感情をあまり表さないようにして怒りなどは胸中におさめて忍び、外交辞令は絶やさぬように日々怠りなく人に気を遣う。
前掲の宣教師ヴァリニャーノの言は、このように言い換えた方が、日本語としてずっと麗しいものになるだろう。
そしてそのような情況が、日本人の心性としての「和」を生んだのではないか。
人に嫌われることを恐れるがゆえに、人に優しく気を遣い、物事をまるく収めて、皆の良いように損得を塩梅し、穏やかで柔和な日本人社会をこれまで築きあげていたものと見るのである。
たとえ背後に、ヴァリニャーノの言うような意図があったとしてもである。
このようにして、「和をもって貴しとなす」 ― という社会が誕生したのではないか。
菅原正子著『日本人の生活文化』
(natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-1685.html )
新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )
第7章 和人たちの夏
1.繰り返される儒教の独自解
2.日本的和の世界
3.嫌われることを恐れる心性
4.東アジア諸国民に日本の和は通じない
5.中華では存在すると思われる物は実在する
6.和は己を持って貴しとなす
7.最後に別々の残酷さを顧みる
◆ 日本は「東アジア」の一員じゃない
PSY ~ Gentleman (2013.04.14)
2013 で、なんたら賞(!)を受賞してましたね。
やみくもに批判・攻撃してる人たちもいますが、政治は政治、エンターテイメントはエンターテイメントで分けましょうw
ただし、民主国家といえども韓国は、古田教授が書かれているように、まだまだ真の民主主義国家とは言えず、エンターテイメントにしても政治で動かされているのが大半で、韓流スターが韓国の左派政党の伝書鳩になって、日本の首相官邸の鳩の元へと、お手紙のやり取りに使われていたことが・・・十分に用心してかかるのを忘れずに (^^;
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