◆ 第8章 新しい神の国 (1) 天皇が大好きな韓国人 [ ❒ 新しい神の国(古田博司著)]
モーツァルト ~ピアノ協奏曲第21番第2楽章より “Elvira Madigan” (1785)
古田博司著『新しい神の国』
第8章 新しい神の国
『満蒙風俗写真帖』の扉(大正写真工芸所新京営業部 1936年)
1. 天皇が大好きな韓国人
黒田勝弘が拙編者の『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』(鄭大均・古田博司編、文春新書、2006年)で書いていることだが、韓国人にとって「天皇」とは公式的に遣いたくない語彙だそうである。
というのも、天皇は国王や王より格上の尊称であり、
「したがって中国文明圏で歴史的には格下のはずの日本が、『天皇』という呼称を遣うのは “生意気” で、しゃくにさわるのだ」
という。
韓国尾有力紙「東亜日報」2004年12月3日付ではそれまでの「天皇」を「国王」ないし「日王」に改めるという表記変更まで発表した。
というと、韓国人がいかにも天皇ぎらいなように聞こえるかもしれないが、彼らの背後の天皇観はなかなか複雑で、そう簡単でもなさそうである。
黒田氏もそのことは充分ご存分ご存じで、敢えて書きにくいこと書いて下さっているのだろう。
かつて、韓国大統領訪日の際の宮中晩餐会に参内したことがあった。
全斗煥大統領以来、韓国大統領の訪日の際には宮中晩餐会がいとなまれ、恒例で朝鮮研究者が2名ずつ呼ばれるのである。
このときは私の番だったのだが、よい機会だったので、大統領と令夫人、その随行者たちをずっと観察していた。
この時の大統領は就任直後であったためか場なれせず、あまり落ち着きがなかった。
令夫人は握手をすると震えているのがすぐに伝わった。
そして随行者たちはどの顔も晴れがましさで一杯であった。
やがて豊明の間に入り、指定の席順で座る。
正面の壁絵は日本画の美しい翠色(みどりいろ)が朝の狭霧(さぎり)のようにけぶって見えた。
何のスピーチもなく、音もなく皇族方が入り口から現れる。
すると、われわれも自然と立ち上がり、お辞儀をする。
皇族方がお座りになり、われわれも着席する。
おのずと然るとはこのことであり、一切、態(わざ)とらしさがなく、かくあってかくなるのである。
起立、礼でもするかと思っていたので、真に意外であった。
天皇陛下がお言葉を述べられ、韓国の大統領が答辞を述べ、乾杯の後いよいよ晩餐となるのだが、筆者の隣の隣の席に当時の韓国大使がいた。
外目にわかるほどの有頂天ぶりで、歓喜あまってドンべりをがぶ飲みし、かなりの酔い加減であった。
間違いなく、天皇陛下にお会いして嬉しいのである。
大使のみならず、随行者たちもみなそうだと思うのだが、国に帰ってから、まず身内のものに宮中に行った自慢話をすることだろう。
そして、それはおそらく彼らが引退し、家で多くの孫たちに囲まれる、幸せな晩年まで続くことになる。
そもそも朝鮮の歴史には、文字の形で書かれた国の歴史と、口で伝えられる一族の歴史との2つがある。
この歴史の方は国史に優先し、日本の天皇にお目にかかったなどということは、一族にとってとてつもない誉れなのである。
しかし、ナショナルな国史の目から見ると、それは公言してはいけないことであり、天皇を日王と格下げしなければならない。
なぜならば、彼らは日本も韓国と同じく中華文明圏の一員であり、中華から見れば弟のようなものだと思いこんでいるからなのである。
中華文明圏の諸国には、真ん中に中華という核があり、ここに皇帝がいなければならない。
その周りを北斗星のように諸国がめぐり、そこに諸々の王たちがいるはずである。
そして王たちの周りを、多くの宗族が取り巻いているというイメージがある。
しかし現実には、今では皇帝も王もいない。
いるのは日本の天皇陛下だけである。
そこに彼らの引き裂かれた天皇観が横たわっており、宗族は天皇に引き寄せられる。
ゆえに族史から見た天皇は、お会いしたい天皇陛下であり、召されれば彼らは晴れがましくも参内し、その思い出は宗族の思い出となるのである。
第8章 新しい神の国
『満蒙風俗写真帖』の扉(大正写真工芸所新京営業部 1936年)
1. 天皇が大好きな韓国人
黒田勝弘が拙編者の『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』(鄭大均・古田博司編、文春新書、2006年)で書いていることだが、韓国人にとって「天皇」とは公式的に遣いたくない語彙だそうである。
というのも、天皇は国王や王より格上の尊称であり、
「したがって中国文明圏で歴史的には格下のはずの日本が、『天皇』という呼称を遣うのは “生意気” で、しゃくにさわるのだ」
という。
韓国尾有力紙「東亜日報」2004年12月3日付ではそれまでの「天皇」を「国王」ないし「日王」に改めるという表記変更まで発表した。
というと、韓国人がいかにも天皇ぎらいなように聞こえるかもしれないが、彼らの背後の天皇観はなかなか複雑で、そう簡単でもなさそうである。
黒田氏もそのことは充分ご存分ご存じで、敢えて書きにくいこと書いて下さっているのだろう。
かつて、韓国大統領訪日の際の宮中晩餐会に参内したことがあった。
全斗煥大統領以来、韓国大統領の訪日の際には宮中晩餐会がいとなまれ、恒例で朝鮮研究者が2名ずつ呼ばれるのである。
このときは私の番だったのだが、よい機会だったので、大統領と令夫人、その随行者たちをずっと観察していた。
この時の大統領は就任直後であったためか場なれせず、あまり落ち着きがなかった。
令夫人は握手をすると震えているのがすぐに伝わった。
そして随行者たちはどの顔も晴れがましさで一杯であった。
やがて豊明の間に入り、指定の席順で座る。
正面の壁絵は日本画の美しい翠色(みどりいろ)が朝の狭霧(さぎり)のようにけぶって見えた。
何のスピーチもなく、音もなく皇族方が入り口から現れる。
すると、われわれも自然と立ち上がり、お辞儀をする。
皇族方がお座りになり、われわれも着席する。
おのずと然るとはこのことであり、一切、態(わざ)とらしさがなく、かくあってかくなるのである。
起立、礼でもするかと思っていたので、真に意外であった。
天皇陛下がお言葉を述べられ、韓国の大統領が答辞を述べ、乾杯の後いよいよ晩餐となるのだが、筆者の隣の隣の席に当時の韓国大使がいた。
外目にわかるほどの有頂天ぶりで、歓喜あまってドンべりをがぶ飲みし、かなりの酔い加減であった。
間違いなく、天皇陛下にお会いして嬉しいのである。
大使のみならず、随行者たちもみなそうだと思うのだが、国に帰ってから、まず身内のものに宮中に行った自慢話をすることだろう。
そして、それはおそらく彼らが引退し、家で多くの孫たちに囲まれる、幸せな晩年まで続くことになる。
そもそも朝鮮の歴史には、文字の形で書かれた国の歴史と、口で伝えられる一族の歴史との2つがある。
この歴史の方は国史に優先し、日本の天皇にお目にかかったなどということは、一族にとってとてつもない誉れなのである。
しかし、ナショナルな国史の目から見ると、それは公言してはいけないことであり、天皇を日王と格下げしなければならない。
なぜならば、彼らは日本も韓国と同じく中華文明圏の一員であり、中華から見れば弟のようなものだと思いこんでいるからなのである。
中華文明圏の諸国には、真ん中に中華という核があり、ここに皇帝がいなければならない。
その周りを北斗星のように諸国がめぐり、そこに諸々の王たちがいるはずである。
そして王たちの周りを、多くの宗族が取り巻いているというイメージがある。
しかし現実には、今では皇帝も王もいない。
いるのは日本の天皇陛下だけである。
そこに彼らの引き裂かれた天皇観が横たわっており、宗族は天皇に引き寄せられる。
ゆえに族史から見た天皇は、お会いしたい天皇陛下であり、召されれば彼らは晴れがましくも参内し、その思い出は宗族の思い出となるのである。
新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )
第8章 新しい神の国
1.天皇が大好きな韓国人
2.天皇をうらやましがった中国人
3.実在すること自体にある美しさ
4.裏切りつづける怨恨共同体
5.ポスト近代の新しい神々の国
◆ 日本は「東アジア」の一員じゃない
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