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◆ 第8章 (2) 天皇をうらやましがった中国人 [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


唱歌「夏は来ぬ」(1896年・明治29年発表)
作詞: 佐佐木信綱
作曲: 小山作之助



古田博司著新しい神の国

第8章 新しい神の国


2. 天皇をうらやましがった中国人


日本国は倭奴国なり。

その国日出づるところに近きを以て、故に日本を以て名と為す。

或いはその旧名を悪(にく)みてこれを改むと云う。


『宋史』 列伝、外国の日本条はまずこのような侮蔑的な言辞から始まる。

次に続くのは、蕹熙元年(984年)、日本の僧侶奝然(ちょうぜん)とその仲間5、6名が海を渡ってきて、銅器10余点と書物2巻を宋朝の皇帝に献上したという記録である。

その時、奝然が王に語ったところでは、日本という国では、
「国王、王を以て姓と為し、伝襲して今の王64世に至る。文武僚吏はみな世官なり」
なのだと言うのである。


天皇が王姓だというのは何かの間違いであろうが、このときまでで64代というのは当たっている。

つづいて本文にずらりと記載されている天皇名は、一部抜けていたり、誤記であったりするのだけれど、どういうわけか、神武天皇から円融天皇まで64代という、数だけは合っている。


その後、皇帝は再び奝然を呼び寄せて対面した。

以下、皇帝の言葉を現代語訳すると、次のようになる。


太宗は奝然を招見し、これを安んずること甚だ厚く、紫の袈裟を与えて太平興国寺に住まわせた。

太宗が聞くところによると、その国の王は一姓を伝え継ぎ、臣下はみな代々同じ官を嗣ぐという。

それで嘆息して、宰相に言った。


「この島は野蛮人(夷)だけなのに、代々の位は遥かに長い。

その臣下はまた世襲して絶えることがない。

これはけだし古えの道である。

中国は唐の末の乱以来、天下は分裂し、粱・周5代は歴数を享せること尤もせわしく、大臣とその跡はまれに代を継いだ。

 朕の徳はようやく聖人の境地へと向かっているが、常に朝早くから夜遅くまで慎み恐れ、国を治める根本を講究して、遊んでいる暇なぞない。

無窮の業を建て、長く続くように範を垂れ、また子孫のことを考え、大臣の後継ぎに禄位を世襲させている。

これが朕の心である」。

(『宋史』巻491、列伝第250、外国7、中華書局、1977年)


現在の中国人が、そうなのかどうかはわからないが、少なくとも10世紀のときの中国の皇帝は、確かにこのように天皇の「一姓伝継」をうらやましがったのである。

唐末の安禄山の乱(756~763年)以降、天下は乱れ、5代10国では短命な王朝が次々と取って代わり、宋になってようやく統一がなされたのもつかの間、この蕹熙元年の太宗の時代には、すでに北方で異民族の遼が王朝開基して6代を数えていた。


真に転変定めなきは中国の王朝の宿命であり、これに反して一系を連ねる日本の天皇は、後世では日本人の誇りとなり、中国人を敢えて下に見る言説に根拠を与えてしまった。

すでにそのような意識は、江戸の後期から見られるが、明治に入ると次のような「皇国」に対する優越感へと変貌していくのである。

岡倉天心のものを挙げてみよう。


万世一系の天皇をいただくという比類なき祝福、征服されたことのない民族の誇らかな自恃、膨張発展を犠牲として祖先伝来の観念と本能とを守った島国的孤立などが、日本を、アジアの思想と文化を託す真の貯蔵庫たらしめた。

王朝の覆滅、韃靼騎兵の侵入、激昂した暴民の殺戮蹂躙 ― 

これらすべてのものが何回となく全土を襲い、中国には、その文献と廃墟のほかに、唐代帝王たちの栄華や、宋代社会の典雅を偲ぶべき何らかの標識も残されてはいないのである。

(『東洋の思想』1903年、竹内好編『現代日本思想大系9 アジア主義』筑紫書房、1963年初版、1974年10刷)


「アジアは一つ」 であり、アジアを愛せよと唱えた岡倉天心でさえ、皇国の優越からはこのように自由ではなかった。

橋川文三が、岡倉の「アジアは一つ」というのも恐ろしいほどの欺瞞だったという所以(ゆえん)である。


なぜこのようなことになってしまうのかと言えばこれまでも繰り返し語ってきたのだが日本と東アジア諸国を同じ文明圏だと思い込むからこのような思考になるのである


中国の皇帝が日本をうらやんでから2世紀の後、日本は貴族衰退と武家興隆の時代に入り、以後関ヶ原の戦いまで400年間、本当は日本国内も戦乱だらけだった。

皇室も落魄し、江戸末期に勤皇の志士たちが天皇をお迎えしに京都の御所に走ったとき、御所の塀は破れ、営繕もままならなかったというではないか。


その皇室が再び「王」として見出され、日本近代の国民国家統合の触媒とされたときに、皇国は、前時代からの中華文明圏を慣性としてそのまま引きずってしまったのであった。


ポスト近代となった現代もはや国民国家は過去のものとなり触媒は役割を終えて象徴となった

そろそろ中華文明圏をわれわれの意識から引き剥がしてもよい頃であろう

天皇陛下は日本文明圏の象徴であり中華文明圏とは何の関わりもないのである




新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第8章 新しい神の国

1.天皇が大好きな韓国人
2.天皇をうらやましがった中国人
3.実在すること自体にある美しさ
4.裏切りつづける怨恨共同体
5.ポスト近代の新しい神々の国



文明の衝突
◆ 日本は東アジアの一員じゃない


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