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◆ 第4章 (2) 宗族という異質な社会 [  ❒ 新しい神の国(古田博司著)]


TAMDING ARTS ~ My lama Tenzin Gyatso (Open Road) TIbetan song 2013



古田博司著新しい神の国

第4章 日本文明圏の再考


2. 宗族という異質な社会


さて、この墓暴き乱闘事件東アジアの伝統社会を物語るものとして、異国のわれわれに最も鮮やかな印象を与えてくれるのではないかと思われるのである。


そもそも朝鮮社会は、宗族そうぞくという細胞の集合体としてある。

宗族とは始祖との血縁的なつながりが記録によって確認できる集団のことであり、その記録を族譜という。

そして同じ一族の中では、どんなに遠縁でも結婚することができない。


それはこれまで、韓国でも頑(かたく)なに守られてきており、「民法809条同姓婚等の禁止」という法律になっていたほどで、反して子をなしてしまった場合、その子らはすべて私生児とされていた 
  (1997年、憲法裁判所で違憲判決が出、1999年1月に失効した)。 


そのような厳しい儒教の世界の話である。

ちなみに彼らにとっての日本人とは、イトコ婚までする野蛮な夷狄(いてき)だということになる。


というわけで、この社会では一族の中で連綿と同じ祖先の血を伝えていかなければならない。

養子もほかの家からとることができない。

では、本家に男の子孫が絶えてしまったときにどうするかというと、分家の後継ぎを連れてきて補填する。

それでは分家が絶えてしまうではないか、と思われるかもしれない。

だが、それでよいのである。

分家は本家のためにあるのであり、そんなものは二の次だと考える。 


なぜ男の血筋を続けなければいけないかといえば、儒教の教義に因っている。

儒教では死んだ後の霊魂はこの世にとどまり、飯を食うのである。

ゆえに、その飯を途切れさせることなく安全に送るために、男の血筋を続けなければならない。


そこで韓国では、男の子孫のないものは、死んでから「(祖先)祭祀(チェサ)のご飯(パブル)の食べられない(モンモツケツタ)」奴だと、揶揄されることになっている。

誰もご飯を送ってくれないと、この世で餓鬼になってさまようからである。


これは相当恐れられており、中世では、疫病などが流行り、多くの人が死んで子孫まで死んでしまうと、飯に飢えた餓鬼が大量発生(← ふ、ふるたせんせぇ~www)することを避けるために、国家で死者に飯をおくる祭りまでした。

これを癘祭(れいさい)という。


この儒教の世界は、われわれの世界とはとても異なってい


日本では人が死ぬと、あの世へ行くと普通、誰もが思う。

周知のように、仏教ではあの世とこの世を行ったり来たりし、これを輪廻転生という。

したがって本当の仏教には、墓というものがない。

死んでもいつかは戻ってくるので、空っぽになった亡骸はガンジス川やインダス川に流すのである。

仏教で唯一お墓と言えそうなものは、ブッダの舎利を祀った卒塔婆(ストウーパ)のみである。


ところが日本の仏教ではお墓もあるし、仏壇もある。

その上、仏壇にご飯を供えたりする。

じつは、これはインドから仏教が入ってきたときに中国を経由した結果、儒教化した仏教なのである。


日本の仏壇は儒教の祠堂のミニチュアであり、位牌も儒教のものである。

位牌はこの世に残った霊魂がそこに居続けるための依代(よりしろ)としてある。

だから、飯を供えることになっている。


日本の仏教は、そのように儒教化し変形された仏教であることをここで一つ押さえておきたい。




新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )

第4章 日本文明圏の再考

1.中世朝鮮の墓暴き乱闘事件
2.宗族という異質な社会
3.靖国の誤解をただす
4.日本文明の写実性
5.現実性と写実性の狭間で
6.古代や中世に固着する東アジア



文明の衝突
◆ 日本は東アジアの一員じゃない


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