〓 TOKYO 2020+1 (4) [ ◆ TOKYO 2020]
日本が日本でなくならぬように
エッセイスト、動物行動学研究家・竹内久美子
2021.07.28
(www.sankei.com/article/20210728-ZYODHYZOAFNJHJKFRRF7X4XZKM/ )
≪新旧の東京五輪に思う≫
1964年の東京五輪時、私は小学校3年生だった。
あの感動は、これまでの人生の中でも特別な輝きを放っている。
体格にハンディがありながら、その技術から「東洋の魔女」と呼ばれた日本の女子バレーボールチームの優勝、エチオピアのアベベ・ビキラ選手のマラソン2連覇と円谷幸吉選手の銅メダル獲得(円谷氏は4年後のメキシコ大会を前に自死するという悲劇に)。
重量挙げの三宅義信選手の優勝、チェコのベラ・チャスラフスカ選手の体操競技での活躍と美貌…。
数え上げたらきりがないほどだ。
そもそもこの大会は1940年に予定されていたが、日中戦争(註:知那事変)のため返上された。
そして敗戦から20年近くを経て、見事に復興した日本を象徴するものとなった。
しかもアジアで初の開催だったのだ。
大会と同時に東海道新幹線や東京モノレールの開業、首都高速道路、名神高速道路など、様々(さまざま)なインフラが整備された。
ちなみに私は両親とともに11月初めの土日を利用し、開業したばかりの東海道新幹線に乗って名古屋から上京した。
東京の大学に進学していた兄に会いに行ったのだ。
当時、新幹線に乗ったのはクラスで1人であり、ちょっとした自慢だった。
このように、前回の東京五輪は戦後復興の証し、日本がその後、世界に羽ばたくための原動力と言ってもよいくらい希望に満ちた大会だった。
作家の三島由紀夫氏は「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」という言葉を残している。
ではその何十年か後に、日本はどうなったのか。
それは三島氏が予想し、1970年に自死した彼が見なくて済んだような退廃した日本である。
以下は自決4カ月前に産経(サンケイ)新聞の「果たし得ていない約束― 私の中の25年」と題した文章の末尾の言葉である。
≪メダル授与式衣装は変だ≫
現在の日本はどうかというと、これをはるかに超えてひどいことになっている。
経済の低迷のうえに、中枢部が他国の支配下にあるとしか思えない。
先ごろ中国に対する、人権非難決議が国会で採択されなかった。
野党ですら非難する中国によるジェノサイド(民族大虐殺)に対し、自民党の媚中議員や中国と親しい関係にある公明党の反対により採択されなかったのだ。
こんな情けない国になり果てた日本…。
かつて国際会議で初めて人種差別撤廃を明確に主張した国は日本である。
第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において日本は、国際連盟規約中に人種差別撤廃を明記すべきであると主張した。
1919年のことだ。
アメリカのウィルソン大統領が全員一致でないと可決されないとして否決されたが、日本が世界に対し、堂々と正論を述べたことは確かだ。
そんな日本を私は誇らしく思う。
他国に乗っ取られたかの様相は、今回の東京五輪のメダル授与式の衣装を見たら一目瞭然だ。
衣装は6月上旬に発表された。
もはや変更は不可能というぎりぎりのタイミングで発表された。
どこにも日本らしさのない、2つのお隣の国の衣装としか思われない、貧相なデザインに怒りを覚えた方も多いことだろう。
先の東京五輪も、1998年の長野冬季五輪も、そして2019年のラグビー・ワールドカップも、メダル授与式の衣装は和服(振り袖)だった。
その美しさと職人の技術を世界は羨望のまなざしで見ている。
≪誇らしい日本取り戻せ≫
どうしてこんなことになってしまったのか。
これまた人権非難決議が採択されなかったことと似た背景が存在するようだ。
何でも、織物の団体がオリンピック衣装にエントリーしようとしたが、費用を低く抑えられ、泣く泣く断念した経緯があるという。
晴れの大会の衣装をケチり、しかも日本らしさがまったくないデザイン。
これはもう「日本は他国に乗っ取られています」と世界にアピールするようなものだ。
日本がそんなことになっているとは知らない人々も、さすがに今回の衣装により事の深刻さに気づくことができただろう。
選手たちを応援するとともに、より多くの人々が現状に気づき、三島氏の予想した日本を変えなければならない。(たけうち くみこ)
エッセイスト、動物行動学研究家・竹内久美子
2021.07.28
(www.sankei.com/article/20210728-ZYODHYZOAFNJHJKFRRF7X4XZKM/ )
≪新旧の東京五輪に思う≫
1964年の東京五輪時、私は小学校3年生だった。
あの感動は、これまでの人生の中でも特別な輝きを放っている。
体格にハンディがありながら、その技術から「東洋の魔女」と呼ばれた日本の女子バレーボールチームの優勝、エチオピアのアベベ・ビキラ選手のマラソン2連覇と円谷幸吉選手の銅メダル獲得(円谷氏は4年後のメキシコ大会を前に自死するという悲劇に)。
重量挙げの三宅義信選手の優勝、チェコのベラ・チャスラフスカ選手の体操競技での活躍と美貌…。
数え上げたらきりがないほどだ。
そもそもこの大会は1940年に予定されていたが、日中戦争(註:知那事変)のため返上された。
そして敗戦から20年近くを経て、見事に復興した日本を象徴するものとなった。
しかもアジアで初の開催だったのだ。
大会と同時に東海道新幹線や東京モノレールの開業、首都高速道路、名神高速道路など、様々(さまざま)なインフラが整備された。
ちなみに私は両親とともに11月初めの土日を利用し、開業したばかりの東海道新幹線に乗って名古屋から上京した。
東京の大学に進学していた兄に会いに行ったのだ。
当時、新幹線に乗ったのはクラスで1人であり、ちょっとした自慢だった。
このように、前回の東京五輪は戦後復興の証し、日本がその後、世界に羽ばたくための原動力と言ってもよいくらい希望に満ちた大会だった。
作家の三島由紀夫氏は「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」という言葉を残している。
ではその何十年か後に、日本はどうなったのか。
それは三島氏が予想し、1970年に自死した彼が見なくて済んだような退廃した日本である。
以下は自決4カ月前に産経(サンケイ)新聞の「果たし得ていない約束― 私の中の25年」と題した文章の末尾の言葉である。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことはできない。
このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
≪メダル授与式衣装は変だ≫
現在の日本はどうかというと、これをはるかに超えてひどいことになっている。
経済の低迷のうえに、中枢部が他国の支配下にあるとしか思えない。
先ごろ中国に対する、人権非難決議が国会で採択されなかった。
野党ですら非難する中国によるジェノサイド(民族大虐殺)に対し、自民党の媚中議員や中国と親しい関係にある公明党の反対により採択されなかったのだ。
こんな情けない国になり果てた日本…。
かつて国際会議で初めて人種差別撤廃を明確に主張した国は日本である。
第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において日本は、国際連盟規約中に人種差別撤廃を明記すべきであると主張した。
1919年のことだ。
アメリカのウィルソン大統領が全員一致でないと可決されないとして否決されたが、日本が世界に対し、堂々と正論を述べたことは確かだ。
そんな日本を私は誇らしく思う。
他国に乗っ取られたかの様相は、今回の東京五輪のメダル授与式の衣装を見たら一目瞭然だ。
衣装は6月上旬に発表された。
もはや変更は不可能というぎりぎりのタイミングで発表された。
どこにも日本らしさのない、2つのお隣の国の衣装としか思われない、貧相なデザインに怒りを覚えた方も多いことだろう。
先の東京五輪も、1998年の長野冬季五輪も、そして2019年のラグビー・ワールドカップも、メダル授与式の衣装は和服(振り袖)だった。
その美しさと職人の技術を世界は羨望のまなざしで見ている。
≪誇らしい日本取り戻せ≫
どうしてこんなことになってしまったのか。
これまた人権非難決議が採択されなかったことと似た背景が存在するようだ。
何でも、織物の団体がオリンピック衣装にエントリーしようとしたが、費用を低く抑えられ、泣く泣く断念した経緯があるという。
晴れの大会の衣装をケチり、しかも日本らしさがまったくないデザイン。
これはもう「日本は他国に乗っ取られています」と世界にアピールするようなものだ。
日本がそんなことになっているとは知らない人々も、さすがに今回の衣装により事の深刻さに気づくことができただろう。
選手たちを応援するとともに、より多くの人々が現状に気づき、三島氏の予想した日本を変えなければならない。(たけうち くみこ)
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