◆ 第1章 (5) 偏在する神々の魂 [ ❒ 新しい神の国(古田博司著)]
GEPE ~ Miss Mothe (2015)
古田博司著『新しい神の国』
第1章 多神教的世界観の勧め
5. 偏在する神々の魂
ハワイでの筆者は、結局「洋化」しなかったが、そのかわりに出雲大社檀家の日系人たちとは禰宜さんを通じ、ずいぶんと親しくなったものである。
みな祖父の代からの神道信徒であるが、スサノヲとかオホクニヌシの名は知っていても、その業績を知らない子孫たちがたくさんいる。
「オオクニヌシは二度復活した。イエスなどの及ぶところではない」
と、教えてあげると、
「レアリー!」
と叫んで、大感動であった。
ちなみに、オホクニヌシの神(天下の大いなる国々を従える主の神)は、
・スサノヲ 直系の アメノフユキヌ の神(天の降るう剣の主の神)
と、
・サシクニオホ の神(佐志の国の大いなる神)の娘、
サシクニワカヒメ の神(佐志の国の若々しい姫神)
の両性生殖によって生まれた神であるが、ハワイの出雲大社の主な祭神になっている。
オホクニヌシは兄弟たちの嫉妬により二度その身を殺されるが、二度復活したと『古事記』にある。
とは言いつつも、日本の神々の身体はなかなかに解釈がむずかしい。
イザナミの神などは、死ぬとその屍体は黄泉の国の殯殿(ひんでん)に安置されるが、蛆湧き、腐り、とろけてしまう。
かと思えば、スセリビメの神は死んでもいないのに、そのままの身体で黄泉の国と現世を自由に行き来してしまう。
本居宣長は、この神は「サスラヒ姫」の訛(なま)りだと説いている。
どうやら日本の神々はわれわれのような身体に魂を宿すが、魂はさらに自在なのであり、イザナギの神のように魂だけを近江の社に残すこともできる。
高天原に昇ることも、黄泉の国に下ることも自由だが、放浪の神以外は身体をその都度どこかに置いてくるようである。
神社の心の御柱に神のヒモロギを置こうが置くまいが、ご神体があろうがあるまいが、この国には神々の魂が偏在し、満ちあふれていると見ている。
そして単性生殖、両性生殖で無限に増える。
それはときに荒ぶることもあるが、この荒魂(あらみたま)になったものは、穢れを祓えば和魂(にぎみたま)となる。
和魂には幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)の働きがあり、宣長は、
といい、幸魂はその身を守り、幸せにする働きであり、奇魂は徳をもって、よろずのことを知りわきまえ、くさぐさのことを成し遂げる働きのことだ と説いている。
要するに、日本の神々の魂には
・怒り (荒)
・仲好し (和)
・幸せ (幸)
・巧みさ (奇)
の4つの機能があるらしい。
また宣長は、
と言い、おおよそ神には善神のみではなく、悪神もあり、心も仕業もそのようなものであるから、あしき業をする人も栄え、よき業をする人も不幸にあうのは世の常である。
神は人の理の当たらずをもって思いはかるべきではなく、ひたすら斎(いつ)き祭れ (穢れを忌み清浄に祀り仕えよ) と教えるのであるが、もっともであろう。
『旧約聖書』にも、とにかく不幸な一生を終える善人のヨブさんとか、女房を寝取られる預言者のホセアなど、不幸な人々は枚挙に遑がない。損な世の中で不幸と闘いながら生きるのは、洋の東西当り前の話である。
小乗 (自分の悟りを重視する) のブッダなどは、
「 或る者は母胎のなかで死んでしまう。
或る者どもは産婦の家で死んでしまう。
また或る者どもは這いまわっているうちに、
或る者どもは駆け廻っているうちに死んでしまう」
(ウダーナヴァルガ)
などと言っている。
けだしリアルであり、リアルな宗教でないとポスト近代を乗り切れないような気がしないでもない。
第1章 多神教的世界観の勧め
5. 偏在する神々の魂
ハワイでの筆者は、結局「洋化」しなかったが、そのかわりに出雲大社檀家の日系人たちとは禰宜さんを通じ、ずいぶんと親しくなったものである。
みな祖父の代からの神道信徒であるが、スサノヲとかオホクニヌシの名は知っていても、その業績を知らない子孫たちがたくさんいる。
「オオクニヌシは二度復活した。イエスなどの及ぶところではない」
と、教えてあげると、
「レアリー!」
と叫んで、大感動であった。
ちなみに、オホクニヌシの神(天下の大いなる国々を従える主の神)は、
・スサノヲ 直系の アメノフユキヌ の神(天の降るう剣の主の神)
と、
・サシクニオホ の神(佐志の国の大いなる神)の娘、
サシクニワカヒメ の神(佐志の国の若々しい姫神)
の両性生殖によって生まれた神であるが、ハワイの出雲大社の主な祭神になっている。
オホクニヌシは兄弟たちの嫉妬により二度その身を殺されるが、二度復活したと『古事記』にある。
とは言いつつも、日本の神々の身体はなかなかに解釈がむずかしい。
イザナミの神などは、死ぬとその屍体は黄泉の国の殯殿(ひんでん)に安置されるが、蛆湧き、腐り、とろけてしまう。
かと思えば、スセリビメの神は死んでもいないのに、そのままの身体で黄泉の国と現世を自由に行き来してしまう。
本居宣長は、この神は「サスラヒ姫」の訛(なま)りだと説いている。
どうやら日本の神々はわれわれのような身体に魂を宿すが、魂はさらに自在なのであり、イザナギの神のように魂だけを近江の社に残すこともできる。
高天原に昇ることも、黄泉の国に下ることも自由だが、放浪の神以外は身体をその都度どこかに置いてくるようである。
神社の心の御柱に神のヒモロギを置こうが置くまいが、ご神体があろうがあるまいが、この国には神々の魂が偏在し、満ちあふれていると見ている。
そして単性生殖、両性生殖で無限に増える。
それはときに荒ぶることもあるが、この荒魂(あらみたま)になったものは、穢れを祓えば和魂(にぎみたま)となる。
和魂には幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)の働きがあり、宣長は、
「 幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)は、共に和魂(ニギミタマ)の名にて、幸奇(サキクシ)とは、その徳用(ハタラキ)を云なり。(中略)
さて幸魂とは、(中略)字の如く、其見を守りて、幸あらする故の名なり。
奇魂も、字の如くにて、奇霊(クスシキ)徳を以て、萬ノ事を知識(シリ)辦別(ワキマヘ)て、種々(クサグサ)の事業(コトワザ)を成(ナ)さしむる故の名なり」
(『古事記伝』 十二巻、神代十之巻、幸魂奇魂の段)
さて幸魂とは、(中略)字の如く、其見を守りて、幸あらする故の名なり。
奇魂も、字の如くにて、奇霊(クスシキ)徳を以て、萬ノ事を知識(シリ)辦別(ワキマヘ)て、種々(クサグサ)の事業(コトワザ)を成(ナ)さしむる故の名なり」
(『古事記伝』 十二巻、神代十之巻、幸魂奇魂の段)
といい、幸魂はその身を守り、幸せにする働きであり、奇魂は徳をもって、よろずのことを知りわきまえ、くさぐさのことを成し遂げる働きのことだ と説いている。
要するに、日本の神々の魂には
・怒り (荒)
・仲好し (和)
・幸せ (幸)
・巧みさ (奇)
の4つの機能があるらしい。
また宣長は、
「善神のみにはあらず、悪(アシ)きも有リて、心も所行(シワザ)も、然ある物なれば、悪きわざする人も福(サカ)え、善事(ヨキワザ)する人も、緺(マガ)ることある、よのつねなり。
されば神は、理(コトワ)リの當(アタリ)不(アタラス)をもて、思ひはかるべきものにあらず。
ただその御怒(ミイカリ)を畏(カシコ)みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。
(中略)
そはまづ萬ヅを齋忌(イミ)清(キヨ)まはりて、穢悪(ケガレ)あらせず、堪(タヘ)たる限リ美好物(ウマキモノ)多(サワ)に獻(タテマツ)り、或(アル)は琴(コト)ひき笛(フエ)ふき、歌儛(ウタヒマ)ひなど、おもしろきわざをして祭る。
(『古事記伝』 一之巻 直毘霊)
されば神は、理(コトワ)リの當(アタリ)不(アタラス)をもて、思ひはかるべきものにあらず。
ただその御怒(ミイカリ)を畏(カシコ)みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。
(中略)
そはまづ萬ヅを齋忌(イミ)清(キヨ)まはりて、穢悪(ケガレ)あらせず、堪(タヘ)たる限リ美好物(ウマキモノ)多(サワ)に獻(タテマツ)り、或(アル)は琴(コト)ひき笛(フエ)ふき、歌儛(ウタヒマ)ひなど、おもしろきわざをして祭る。
(『古事記伝』 一之巻 直毘霊)
と言い、おおよそ神には善神のみではなく、悪神もあり、心も仕業もそのようなものであるから、あしき業をする人も栄え、よき業をする人も不幸にあうのは世の常である。
神は人の理の当たらずをもって思いはかるべきではなく、ひたすら斎(いつ)き祭れ (穢れを忌み清浄に祀り仕えよ) と教えるのであるが、もっともであろう。
『旧約聖書』にも、とにかく不幸な一生を終える善人のヨブさんとか、女房を寝取られる預言者のホセアなど、不幸な人々は枚挙に遑がない。損な世の中で不幸と闘いながら生きるのは、洋の東西当り前の話である。
小乗 (自分の悟りを重視する) のブッダなどは、
「 或る者は母胎のなかで死んでしまう。
或る者どもは産婦の家で死んでしまう。
また或る者どもは這いまわっているうちに、
或る者どもは駆け廻っているうちに死んでしまう」
(ウダーナヴァルガ)
などと言っている。
けだしリアルであり、リアルな宗教でないとポスト近代を乗り切れないような気がしないでもない。
新しい神の国 ☆ もくじ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-1 )
第1章 多神教的世界観の勧め
1.ホッブズ・ワールドのロック・ソサエティー
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-2 )
2.極限の身体
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-3 )
3.無限増殖する偶像なき身体
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-4 )
4.悲しみの島ハワイ
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-5 )
5.偏在する神々の魂
(― )
6.日本の神々の二つの系譜
(hawkmoon269.blog.ss-blog.jp/2019-11-11-7 )
日本は東アジアの一員じゃない
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